[067] 「農工通信」より

母校、東京農工大学の同窓会誌「農工通信」へ寄稿させて頂きました。編集委員会の皆様、ありがとうございます。海を渡って届けられる便り、母校や同窓生のことを想いながら、いつも楽しく拝読しています。

毎号バラエティに富む内容の本誌、ここで触れられるほんの氷山の一角でさえ、卒業生の皆様の活躍の場の広さ・深さを誇らしく思い、励みに換えさせて頂いてます。掲載文(拙稿)を一部省略にて、このコラムを読んでくださっている皆様にも紹介します。067_NokoDai

「前略、ニュージーランドより。」

・・・当時ニュージーランドへ旅発ったのは、「外の世界を見てみたい」という冒険心が何より強かったが、「林工」研究室の恩師、K先生の影響も大きい。K先生はニュージーランドの林業研究所に勤務された経験をお持ちで、講義でもその頃のスライドを使われたり、時に脱線しては思い出話を語られた。やはりこちらも林学を学ぶ身、冒険心のその先に、林業が盛んな国を渡航先に選んだのも必然であったのだろう。以降、幸運にもニュージーランドの林業・木材産業に携わり続けている。

最初に就職したのは、山林経営からの丸太販売や製材・合板・集成材製造販売などを手掛ける林産企業で、こちらではニュージーランド林業・林産業のいろはを含め、若手として本当に様々な経験をさせていただいた。中でも懐かしく思い出すのは、採用直後の数ヶ月を、来る日も来る日も伐採業者とともに山の中、チェーンソー片手に木を伐り続けたことだ。余談だが、林学科卒とはいえ実務ド素人の人間をいきなり現場のど真ん中に放り出すなど、今となっては考えられない。ゆるき良き時代であったということだろう。

その後、縁あって転職、北欧拠点の林産業コンサルティング・ファームのニュージーランド社に、長きにわたりお世話になった。クライアントに専門的なサービスを提供する立場、ここでもコンサルタントとは何者ぞやから始まり、癖のあるプロフェッショナル集団のなかで揉まれながら、多くを学ばせていただいた。グローバル企業の環太平洋市場担当として、海外出張の場数も数多く踏むことがかなった。もっとも行く先々は森林や工場がほとんどであったが。

そして2013年に独立、現在はフリーランスとして「林産業・木材コンサルタント」を名乗っている。今度は自営というものをまたいちから勉強。きつくもあり面白くもあり、長年サラリーパーソンとしていかに守られた環境で仕事をしてきたのかを痛感している。(・・・まだ続きますが、長文になるのでここで。)


©NZmokuzai.com all rights reserved. 文・図表・写真の無断転載を禁じます