[105] クライストチャーチ

久しぶりに週末をクライストチャーチで過ごし、53,447歩を歩く。

ニュージーランド南島の最大都市クライストチャーチは、2011年のカンタベリー地震で大きな被害を被り、今も復興作業の最中にある。木材市場の観点では、被災後から現在にいたるまで、「Rebuild」の掛け声の下、特に構造材や建築用材、外構材の分野での需要が続いている。あれから7年が経つ。

ここからは、すこし私的な話になる。

旅先として生まれて初めて訪れた西洋の街は、1993年のクライストチャーチだった。そしてその翌年、初めての海外生活の地として選んだのもクライストチャーチ。その第一歩が、結果としてそれ以降現在に至るまでの、私のニュージーランド暮らしの始まりとなった。そんなわけで、生活者として過ごしたのはわずか一年ではあったが、クライストチャーチには生まれ育った日本の地元に次ぐ第2の故郷のような感情を抱いている。

クライストチャーチでは現在も復興作業が続いている。倒壊してしまった大聖堂に象徴されるように、当時歩き回った市街の通りや街角は、今でもあちこちに大小の傷跡を残したままだ。だからこそなのか、歩けば歩くほどに、あの頃の風景や想いのフラッシュバックが激しい。「あぁそういえば、バスに乗り遅れないように走ってて、この路肩で派手に足首を捻挫したな。」などといった普段絶対に思い出すことのない25年前の出来事や、何十枚も書いた絵葉書用の切手の軽く鼻腔を突くような匂いが、なんの脈絡もなく突然よみがえってくる。

25年振りに泊まったバックパッカーのソファーはすっかりくたびれてしまったが、外観や中の雰囲気は驚くほどに変わっていない。あの夜同宿の縁で一緒にアイリッシュパブで生演奏を聴きながらビールを飲んだ旅人は、今はどこでなにをしているんだろう。懐かしきカフェでコーヒーを啜ると、かかってもいないBGMの旋律が突然耳の中で響き始める。あのとき勇気を出して店員さんに紹介してもらったCDは、今でも本棚の端っこを飾っている。瓦礫だけとなった今は亡き友人宅の少しポップな内装や空気が、その前を通っただけで鮮やかに蘇生する。僕が笑いすぎてこぼしてしまったあの絨毯のワインの染みは、いったいあの日どこに行ってしまったのですか。

変わるもの、変わらないもの、今でもそのままのもの、別の形で残ったもの、なくなったもの、そして悲しいけれど、もう想い出せもしないもの。そういったものを拾い集めた53,447歩だった。


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